No.236
2000.11

ISASニュース 2000.11 No.236

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真裏にて

松 尾 弘 毅  

 久しぶりに長旅をしてきました。

 まずは,San Diego郊外のLa Jollaで,9月2728日の両日IACG(宇宙科学分野での日米欧露の4極による年次会合,今年は米国がホスト)。昨年の沖縄で,各国出席者3名以内という軽量化と戦略的計画(Stragetic Planning)に向けての活動強化が決まった後,最初の会合でした。

 やや肥大化の傾向があった従来に比べて,これも悪くないねという膝付き合わせた雰囲気の中で,新たに,太陽・地球環境科学,赤外,X両天文分野での協調の可能性の追求とリソースとしての追跡局の調査,とが決まりました。次回は,本来ならばロシアですが,ハレー彗星の際IACG発足の地となった,イタリアの Padovaで開かれることになりました。

 続いてIAF(国際宇宙航行連盟)/IAA(国際宇宙航行アカデミー)出席のためRio de Janeiroへ。遠いので参加者数が危ぶまれましたが,最終的には予想を遙かに超える2000人が参加したようです。会場は郊外のやたらに大きなところで,ただ各自のホテルからはバスでまたはタクシーで小1時間は掛かります。入るに難く,出るに難く,これを理想的と言うかどうかは各自の心掛け次第といったところです。

 ショー形式の型破りの開会式に始まり(これについては,さすがという意見と朝っぱらから何をという,例によって賛否両論あり),28のシンポジウムで104のセッションが開かれました。ISASからも10人以上が参加して,発表のみならず運営上でも重要な役割を果たしました。私自身もアカデミーの評議員会など拘束の多い毎日で,火星探査のパネルにも鶴田教授の代打で出席しましたが,NASAが火星探査機の連続失敗を踏まえて計画を練り直しているところであり,あまり迫力のある議論になりませんでした。

 IAAの方は活性化の為の委員会等の再編が始まったところで,新体制に落ち着くのに,1〜2年はかかりそうです。もうつの重要な議題はおなじみの財政強化で,産業界などを団体メンバーとして加入させ寄付金を募るという会長提案は,個人の集合であるアカデミーにとって如何なものかということで,要検討・保留ということになりました。IAFの方は五代会長が任期満了につき,後任に今回の組織委員長でもあったブラジルのBarbosaINPE所長が就任しました。来年からはToulouseHoustonBremenと続きます。

 日本の参加者にとっての懸念は治安でした。五代さんの下見の報告に,会場はガードマンが警戒,ホテルはそれぞれ前にポリスボックスがあるので大丈夫とあり,これを大丈夫というのかどうか出発前に議論のあったところです。

 勿論誰もが被害を受けるわけではなく,何となく気が緩んできたところで,ESARodota長官夫妻がホテルの目の前のCopacabana海岸で身ぐるみという話が伝わって緊張を新たにすることになりました。ある意味では何処でもある話かもしれませんが,場所と襲われたという点でショッキングでした。

 とは言え,風光は誠に素晴らしく,日本からの参加者も緊張の中にそれぞれ楽しんだというところでしょうか。

 私のホテルはIpanema海岸に面した(娘の名前だとは思っていませんでしたが,海岸の名前とは初めて知りました。)各フロアに5室16階建てという鉛筆のようなホテルでした。

 最初は何とも手狭なホテルと感じたものですが,1階にカウンターが3人のバー,1人用の美容室,2階のレストランの奥に小会議室,屋上に3mx4mのプールを発見するに及んで,工夫の程に感心することになりました。

 最後は恒例の大晩餐会。4時間の予定なのでこれはサンバ・ショー付きと確信していたのですが(今回はその手のことはすべてスキップしたので),時間がかかったのは地元の開催協力者の表彰などで(私も感謝することにやぶさかではありませんが),最後はバンド演奏に合わせてフロアで参加者が踊り狂うという馬鹿な幕切れとなりました。目の保養どころでなく,適当に引き揚げました。それでも12時でしたけどね。日本への便は夜の9時から10時にかけて出発します。昼にホテルをチェックアウトしたあと街を歩く緊張感に耐えかねてか,午後3時頃には私を含めて日本勢がゾロゾロ空港に現れたのには苦笑したものです。

(まつお・ひろき) 



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