私はアメリカ人ですが,恥ずかしながら日本語も少々話します。早いもので,私が日本で働くことになって3年が経ちました。最近,私は電話を通して外部の人から“川上さん”と呼ばれることが多くなりました。始めは笑える冗談でしたが,実のところだんだん怖くなっています。何を間違って“カーカム”が“川上”と聞こえてしまうのか,全く理解できません。NASAの川上さん宛ての電話や配達物が徐々に増えてくると同時に,最近では川上ではなくカーカムだというと,漢字でどう書くのだと尋ねられる始末。ショックでした。多分,私の日本語の発音かアクセントに問題があるのだと非常に反省しています。
“石の上にも3年”という格言があります。まさしく私の駐日NASA代表としての生活も,大きな課題の上にありました。この3年間,公私共に数々の失敗を含めて貴重な経験をしました。今ほどこの格言の意味を身近に感じたことはありません。私は常に“失敗は成功の元”だと信じています。とは言え,日本での最初の失敗は忘れられるものではありませんでした。
私は1997年8月の着任早々,ASTRO-Eの開発状況の報告をしなければなりませんでした。当時NASAはISASとハードウエア統合計画に関していくつかの問題を抱えていました。そこで私は,直ちに宇宙開発委員会からの打上げ計画最新情報を,NASA本部へ送りましたが,その時は大きな失敗を犯しているとは夢にも思いませんでした。私はASTRO-Eの打上げ年度を,暦年ではなく予算年度で報告してしまったのです。NASAの同僚は突然降って沸いたような情報に,かなりのパニック状態になったことは言うまでもありません。後日,小川原教授から適切な情報を提供していただき,事なきを得ました。この一件で,私自身大変反省いたしました。初歩的なミスとは言え,ISASの皆様にもその際は大変ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。それ以後,情報の正確さは私自身の理解の確認を要するものと心がけています。“煮え湯を飲んだ”とはこういう事でしょうか。
しかしながら,悲劇は続きました。日本の宇宙活動を理解する上での言葉上の問題をはじめ,数字の数え方など,ヒヤヒヤの毎日を今だに過ごしているのです。
さてここからは,まじめな話ですが,我々が向かう21世紀の宇宙開発はチャレンジそのものです。したがって,今までの日米協力の枠組みを越えた新しい形のガイドラインを作る必要があるのです。そのガイドラインの作成の際には,次の3つのアプローチが重要だと思います。最初に“尊重”です。日米間の議論の中でお互いの立場を理解し,ひいては文化的な配慮を含めた交渉が必要とされます。次は“コミュニケーションの拡大”です。幸いにも,NASAはSASIの科学者や技術者間だけでなく,事務系レベルにおいても交流を行なっていますが,今後もっと積極的に行われることを期待しています。最後に“ゆるぎない信頼関係”です。日米間の宇宙開発に対する意気込みを確認し信頼性を増すことが求められると思います。21世紀の宇宙開発は一層密なる協力関係を軸に行われなければならないのです。その第一歩として,MUSES-Cの成功を心から祈っています。
私の“石の上にも3年”も何とか無事に過ぎ,これからはNASAの調整役としてもっと広報活動にも力を入れていこうと思っています。日本の皆様にNASAの活動をより身近に感じていただくことで,同時に日本の宇宙開発への興味を持っていただけるように頑張ります。今後,広報活動を通して多くの人に“川上さん”と呼ばれるかもしれませんが,そのうちに“川上”という名前が,日本滞在の良い思い出の一つになればいいなあと想う今日この頃です。
(NASA ギルバート・カーカム)