No.230
2000.5

<研究紹介>   ISASニュース 2000.5 No.230

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電気推進・イオンエンジン

宇宙科学研究所 國 中 均  



 電気推進は「高比推力」を特徴とし,衛星に搭載して軌道維持や深宇宙探査の主推進にその能力を発揮します。比推力(単位:秒)とは推進剤の消費率当たりの推力を表わし,値が大きいほど重量効率の高いことを意味します。既に使用されている衛星搭載用の化学推進器では比推力300秒に対し,電気推進機の一種イオンエンジンは3,000秒と優に10倍の効率を示します。それでは比推力の差違がもたらす効果を見てみましょう。M-Vロケットを用いれば惑星間空間に500kgの探査機を打ち出すことができます。この探査機が100kgの推進剤を積んでいる場合,イオンエンジンなら6.7km/sの軌道変換能力に相当します。さて同じだけのマヌーバ容量を化学推進器で発生するには3.3tの燃料が必要になります。だからH-IIロケットで打ち上げるに匹敵する全重量3.7tの探査機となります。M-Vの能力でもってH-IIと等価な(ある種類の)深宇宙ミッションも可能なのです。バラ色のことばかり書きましたからすこしエクスキューズします。推進機の推進剤を含まない乾燥重量はどうしても重くなりますので,ある程度大規模の宇宙機でなくては重量メリットが現れません。また電力は必須ですから,軌道投入最中とか故障時のセーフホールドには使用できません。もう一つの特徴として「低推力」と謳われます。これは必ずしも自慢できる項目でなく,瞬時でなく長時間かけて軌道マヌーバを実行するため運用負荷が重くなります。ただし本質は電力に比例した推力が発生できるのであって,恒久的に宇宙で利用可能な電力に制限があるため結果として低推力なのです。

 私の研究開発するイオンエンジンに話を進めましょう。作動原理を図1に示します。推進剤を放電によりイオン化後,静電加速グリッドを用いて引き出し,電子を混ぜ電気的中性なプラズマビームとして噴射します。イオン源と中和器に独立したプラズマ発生器を使用します。このプラズマ生成方式により複数のイオンエンジンが存在します。最も開発の進むカウフマン式やリングカスプ式は直流放電を利用しています。固体電極からの電子放出を消耗的な熱陰極に依存しかつイオン衝撃による電極損耗を伴うので作動寿命に上限があり,さらに大気暴露を嫌うため衛星インテグレーション地上作業を大変煩雑にします。宇宙研電気推進研究部門ではマイクロ波放電式イオンエンジンの研究開発を行っています。図2は開発中のエンジニアリング・モデルとプロトタイプ・モデルが同時運転している光景です。マイクロ波放電式イオン源/中和器はプラズマ中の電子の一部をマイクロ波の交流電界と磁場の相互作用により高エネルギー化して再利用するため熱陰極はもとより電極そのもの一切が不要となり,画期的な長寿命が期待できます。イオン生成性能は,イオン生成コストCi(=イオン生成のための消費電力/引き出しイオン電流)と推進剤利用効率ηu(=引き出しイオン電流/推進剤消費率)を用いて表現します。どちらも電力や推進剤の消費を低く押さえる要請からの指標です。Ciは電圧の単位で,ηuは供給推進剤の原子が1価電離すると仮定し等価電流換算値に対する比率で示します。Ciは小さいほど,ηu100%に近いほど高性能と言えます。10cm級マイクロ波放電式イオン源では230V/90%を達成し,直流放電式に比肩するまで性能改善されています。

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図2 マイクロ波放電式イオンエンジンの2台同時運転

 静電加速グリッドとは,直径数mmの穴を無数に開けた厚さ1mm以下の平板で,これをないし3枚1mm以下の狭い間隔で保持して用います。上流よりスクリーン,アクセル,ディセルグリッドと称します。スクリーングリッドには+1kV程度,アクセルグリッドには-300V程度,ディセルグリッドには0Vという電位を配置し,イオンはスクリーン/アクセル間電位差によりイオン源から引き出され,最終的にはスクリーン/ディセル間電位差に相当するエネルギーのイオンビームとして噴射されます。アクセルグリッドの作り出す負の電場領域は,スクリーン/アクセルグリッド間電界を大きくしイオン源からのイオン引き出しを容易にすると共に,ディセルグリッド下流から電子の逆流を阻止する機能を果たします。kVのイオン衝撃は金属と言えども容易に削ってしまいますから引出し加速されるイオンが各グリッドに直接衝突しないように各穴の大きさおよび配置は綿密に設計されます。図3に数値解析例を掲げます。直径3mmのスクリーングリッド穴から整然と加速噴射されて行くイオン流が表されています。その途中至る所で,わずかに存在する中性ガスと電荷交換衝突が発生し,速度を失った低速イオンはその場の電界に引かれアクセルグリッドに衝突してしまいます。このメカニズムによるアクセルグリッド損耗に対処するためにイオンスパッタリングに強い材料としてガ−ボン・カーボン複合材の応用を目指しています。

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 1997年2月から1999年8月まで2年半かけて,宇宙飛翔に要求される積算作動時間18,000時間の耐久試験を実施しました。1年はたった8,760時間しかありませんから実に気の長い作業です。真空試験装置は直径2m,長さ5mのステンレス316製,4機のクライオポンプ,内面にチタン製冷却パネルを装備しています(図4)。この時間規模になりますともはや人間が監視したり操作するレベルを越えていますので,イオンエンジンはもとより真空試験装置もコンピュータによる24時間完全自動自立試験となります。とは言いましても,機械で自ら解決できない故障(例えば停電)の場合には,深夜/休日おかまいなく,何度コンピュータから携帯電話ごしに呼び出しを受けたか涙なくしては語れません。この試験により,マイクロ波放電式イオンエンジンが2万時間に迫る耐久性をその特性として備えているという自信を深めることができました。さてこれからは宇宙飛翔させる機器そのものが耐久性を備えているかという品質管理(クオリフィケーション)をいかに実施するかが新たに立ち向かうべき課題となっています。

図4 耐久試験装置

 さて斯様に宇宙飛翔に値する機器が完成できたとしても,これを衛星システムに適合させるためには電気推進エンジニアだけでは手に余る大仕事です。広い範囲の宇宙エンジニアの御協力を仰がずにはいられません。まず電気推進は電力が必須です(電源設計)。そして作動時には大きな発熱を伴いますし,待機時にはそこそこの暖かい環境でないと困ります(熱設計)。あまり頑丈にはできていないので揺れないところに乗せて下さい(構造設計)。電気推進は一般的に電磁ノイズを出します。特にマイクロ波放電式イオンエンジンはマイクロ波を使いますから通信を妨害するかもしれません(通信設計)。地球より遥か遠方の探査機が微小推力で航行すると,その位置を追跡するにはことのほか労力を要します(軌道決定)。探査機がkm/sにもおよぶ軌道変換能力を持つということは,打上げロケットとの仕事分担にいく通りもの組み合わせが派生します。つまりロケットの仕事分量を増やして地球脱出速度を大きくすれば,探査機重量は小さくなります。はたまた地球脱出速度を小さくすれば,探査機重量はその分多くなりますが,その後電気推進の負担が増えますから搭載する推進剤が重くなります。ペイロード重量最大となるオプティマムがどこにあるのかパラメトリックなミッション解析が必要です(軌道設計)。推進剤を探査機タンクに詰め込む作業はまさに高圧ガス製造ですから法律に準拠した手続き手順を踏まなくてはなりません(地上設備)。云々。手のかかる装置ですが,これを宇宙に送り込めるのは宇宙研の総合力や機動性,新技術への探究精神があってこそです。衛星搭載推進系の高比推力化によって限られた宇宙機重量でもまだまだ高Delta-Vミッションは可能なはずです。「オリジナルな電気推進を飛ばしたい」それが実現できる唯一の組織と信じて(一時期,疑い,失望しましたが)学生時代より数え18年もしがみついています。

(くになか・ひとし) 


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