No.228 |
<送る言葉>
ISASニュース 2000.3 No.228 |
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長友先輩を送る松 尾 弘 毅長友さんが退官ということになりますと,さすがに古き良き時代の想い出が押し寄せて,感慨一入のものがあります。 私が糸川研に入ってすぐ人工衛星計画が始まり,唯一の子分として大いに鍛えられました。何しろ当時大学院生は2人だけでしたから。週明けに備えて,日曜の夜は2人で徹夜ばかりしていたような記憶があります。素晴らしい行動力と工学的洞察力を拝見していると,自分がやっていけるのだろうかと悩んだものです。人手不足で分野を分けざるを得なかったことは,私にとって幸運だったと未だに思っています。“おおすみ”では本当に苦楽を共にしました。パッと何か思いつくと一口乗らないかということで,例えば20数年前にすでにデブリによる衝突の解析をした覚えがあります。長ずるに及んで私も一策を案じ,“あと1週間同じ事に興味を抱いているようならお付き合いをしましょう”ということにしました。これは有効でした。 冗談はキレました。旧宇宙研からの分離独立のさなか,残留される側の方向について,“いっそ航空学科研究所というのはどうだ”などという凄いのがありました。“モラル委員会というから皆で気勢を上げるのかと思ったら,規律のことだってよ”,あるいは,さる先生の委員会報告を聞いて“再現すれども報告せず(何のことだか判らない)”というのもありましたね。 また筋論で遊ぶのもお好きで,最初の人工衛星計画試案が秋葉研究室発行とあったのに対して,我々2人は秋葉研ではないと言い張って,今に残る表紙には手書きで“含む長友,松尾”と書かれています。 Mロケットが安定してからは,SFU,太陽発電衛星とご活躍で,その後は体調を崩したりされましたが,歯切れのよい論評は相変わらずでした。ただ,私が“長男が道楽ばかりするから次男が苦労するのだ”と責めたてるのには多少は閉口されたらしく,私には随分手加減を加えて下さったようです。 この先のご活躍を願っています。感慨一入と書きましたが,どれ位かと言うと一緒に辞めたい位です。 (まつお・ひろき) |
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