No.228
2000.3

ISASニュース 2000.3 No.228

- Home page
- No.228 目次
- 研究紹介
- M-Vロケット4号機の飛翔について
- お知らせ
- ISAS事情
- 送る言葉
- 宇宙を探る
- 東奔西走
- 学びて時にこれを習う
+ いも焼酎
- 編集後記

- BackNumber

美しい濡れ落葉を願う

木 村 久 子  

 私は,2000年最初に退くひとりです。その第一歩は1963年11月から東京大学航空研究所材料部へいとも安易にお世話になっていたところ,航空研究所と生産技術研究所のロケット部門とで,1964年4月,東京大学宇宙航空研究所が発足しました。

 その間際にお誘いを載き,またもや気楽に経理課用度掛へ所属し,主には備品の管理に従事する一方若さ溢れるメンバーの名「」から6H会と称し楽しい勉強会をやったものです。1971年10月司計掛に配置換となり概算要求書,実行予算配分に携わります。当時の概算要求書は手書きで作成,印刷出し,校正の読み合せと目まぐるしいことでした。また,予算配分も経費事項が多種ではあるが数字だから+−=0の筈が遣り繰りがさっとできず夜中に数字が現われたりしました。私はここで文部省から各資料についての問合せがあると即回答と対応のスピード感も味わいました。

 ともかく宇宙研はビッグサイエンスによるからか,定期・臨時・特別検査と年3回も会計実施検査があり,会計職員一致団結してやり遂げたこともなつかしく思いますし,会計系の20年間で宇宙研の大局を見せて載いたと感じています。1981年の宇宙科学研究所の設立で主計課司計係と業務は同じでしたが,改組後まもなく,ワープロ導入のため要求理由書を初めて作成しました。1基350万円2基必要不可欠と要求した結果1台分が導入されましたが,現在斯様に活用されるとは私には驚きです。1984年7月に庶務系会計系16人のピストン人事があり私は庶務課企画法規係に異動となり,所内広報,宇宙研概要等の発行と宇宙研イベント等に係わります。この業務もまた宇宙研の内容を解さないと難しいものと悟った次第です。また折しも76年毎のハレー彗星出現に宇宙研の「さきがけ」,「すいせい」の惑星探査機打上げに関し,宇宙科学関係機関及び報道機関への広報活動の体制ができ所外に出向く機会がありました。1991年4月には研究協力課共同利用係に移り,宇宙研のプロジェクトに基づく他大学等との共同研究の窓口として,係所掌の各委員会,シンポジウム等開催の業務に携わりますが,やはりここでも所内外の先生方の研究分野をある程度把握していないと事務手続きに支障が起ることも経験しましたが,この頃になると宇宙研が面白く徐々に填っておりました。ところが1996年4月国際調整課設置に伴い国際交流・渉外係の発令には青天のへきれきにて未だに錯綜しつつ4年間を終えます。しかし,これまでに在籍係の本務の他にロケット実験の海上チェックのために鹿児島海上保安部詰め出張は私には心の糧になっております。

 拙い私でありましたが,怪我や病気まして産休も縁遠く,どうやら最後の日を迎えますことは,長い年月,諸先生,先輩,同輩,後輩の方々との素晴らしい出会い,優るご指導を頂載いたし唯々感謝申しあげます。

 ここに,皆々様のご健勝とご活躍をご念じ申しあげ,併せて宇宙科学研究所の更なるご発展を密かに願いあげます。

 沢山のことを誠にありがとうございました。

(きむら・ひさこ)



#
目次
#
編集後記
#
Home page

ISASニュース No.228 (無断転載不可)