No.226
2000.1

ISASニュース 2000.1 No.226

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「思い出・思い着くまま」

関 口 豊  

 1961年4月に港区竜土町にある東大生産技術研究所第部(電気工学)の高木研に入って,早々5月には秋田県道川にあったロケット実験場に出張し,K-8-6号機のロケットの打上げ実験にレーダ班として初めて参加し,大変感激したことが目に浮かびます。その頃の実験班員は秋田市内に宿泊し,バス台で実験場に通うと云う少人数であったため,色々な分野の人と雑談的な会話でしたが電気以外の知識の吸収が出来て,無知だった私が大きく成長しました。電気グループでも私は弱電系でしたが,斎藤先生や浜崎先生の指導の下で,何でもこなさないとロケット実験は出来ない事を知らされました。

 1963年8月には鹿児島県内之浦でのロケット実験が開始され,1964年4月に東大宇宙航空研究所が改組・創設され,翌年には駒場に移転しました。駒場に移って落ち着く暇もなく,ロケット実験の準備と実験が続きました。ちなみにロケット打上げ機数は1964年度:24機1965年度:31機1966年度:41機と云う具合で,大変ハードなスケジュールが続きました。

 ロケット実験に追われて,あたふたしている時に1964年12月から大型計算機の運転が開始されるので面倒を見てくれと野村先生から頼まれて以来HITAC5020FからVPP800まで世代18種類の計算機と付き合うことになりました。

 それからはレーダ班としてロケット実験に参加すると共に,大型計算機の運転管理と足のワラジをはく事になりました。

 1981年4月には宇宙科学研究所が発足し,1988年4月には相模原キャンパスに移転とあわただしい日日が続きました。

 ロケットの方はK-8-6号機の打上げ実験に参加して以来,カッパ・ロケット,小型シングルロケット,ラムダ・ロケット,大型衛星打上げ用ミューロケットの開発とロケットの黎明期から開花・結実期まで参加でき,特にL-4S-5号機による日本初の人工衛星「おおすみ」の誕生,M-4SM-3SIIM-Vでの新規開発ロケットでの衛星の打上げと成功が目の前に浮かび走馬灯の様に思い出されます。

 ロケット実験で道川時代から鹿児島宇宙空間観測所(KSC)の初期の頃はKE班も集中電源班も無かったため,各班毎に電池を購入して,内部抵抗等を測定して,電池の特性バランスを取って充放電テストから充電・補充電を行い,又ロケット打上げ時にはランチャー配線からレーダトランスポンダー(トラポン)SW ON/OFF制御用のケーブル布設・撤収まで全て自分達で行い大変でしたが今ではかえって懐かしく思われます。この頃は,斎藤先生の方針で,地上装置の設置から調整・オペレーションまで自分達で行うことを目指して頑張った事が思い出されます。

 ロケット搭載用のトラポンも初期の頃はロケットが発射されてみないと成否がわからない状態で,打上げ前のカウントダウンの1秒1秒の緊張は現在の数十倍だった様に思います。その反面成功したときの感激は何とも云えぬ快感で,今までの疲れも一気に吹き飛んでしまった様な感慨に耽ったものです。

 私もレーダの仕事・衛星の軌道計算やら大型計算機の運転管理やら出来る事は何でもやっているうちに,あっと云う間に39年が過ぎてしまい何の結果も出せないまま定年を迎えることになってしまいました。

 1999年度で大型計算機の一連のリプレースも終わり一段落し,最後の仕事としてM-V型ロケットの打上げに参加できることは私の人生で最大の喜びであり,幸せ者だと思います。長い間勤務し定年を迎えられるのも偏に皆様方の温かいご支援があったからと感謝して居ります。

(せきぐち・ゆたか)



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