No.224
1999.11

ISASニュース 1999.11 No.224

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ドイツ・ペーネミュンデ
〜 近代ロケット発祥の地を訪ねて 〜

竹前俊昭   

 ドイツのペーネミュンデと言えば,「V-2」が開発された近代ロケット発祥の地である。ここで8月1日から9月17日まで,宇宙開発事業団(NASDA)と宇宙研が合同で展示会を開催した。

 NASDAと宇宙研は,大きな国際会議等の展示会の際にJAPANブースとして合同展示を行ってきているが,7月UNISPACE(ウィーン)展示終了後から10月IAF(アムステルダム)開催前まで,ペーネミュンデの技術史情報センターで日本の宇宙開発を紹介する事になったのである。宇宙研からはM-Vロケットや各衛星の模型・パネル等の展示やホームページが出展された。

 ペーネミュンデは,バルト海沿岸のドイツ東北端のウーゼドム島に位置し,人口500人足らずの小さな町である。この地で半世紀も前に,フォン・ブラウンを中心としてV-2が開発された。V-2は,ロンドン爆撃に使用されたロケット兵器である。しかしV-2によって,人類は初めて宇宙空間へ出る技術を確立したのも事実である。第次大戦終戦後,V-2の技術はアメリカとソ連に渡り,冷戦もあって目まぐるしい進歩を遂げた。特にNASDAは,アメリカのロケットを基礎としているので,技術的にはペーネミュンデの孫の世代に当たる。近代ロケット発祥の地でロケット技術の原点に触れ,科学と平和目的のために行われている日本の宇宙開発の現状と将来計画を紹介する事が,今回の展示会のコンセプトであった。

 ペーネミュンデのロケット開発所は連合軍の爆撃を受けて壊滅したが,発電所等当時の面影を残す建物が幾つか残っている。展示を行った技術史情報センターはその発電所の隣にあり,V-2を始め軍用機やミサイルが展示されていて,軍事博物館といった内容である。

 ペーネミュンデはベルリンから電車で半日以上もかかる片田舎だが,島全体が自然公園に指定されていて手付かずの自然が素晴らしく,夏は保養地として多くの人が訪れる。海岸線は美しく,ヌーディストビーチも有るとの事だが,日本より寒い9月半ばでは誰もいなかった(残念)。

 展示が行われた1ヶ月半の期間中に,実に8万人が来場した。展示会の最終日には,会場内でクロージングセレモニーが行われ,平日にも関らず多くの来場者と関係者が集まった。町長の挨拶の後,主催者代表として自分が挨拶をした。セレモニーには,当時ペーネミュンデで働いていた技術者やユダヤ人の団体も招待されていたが,それぞれの立場があり,V-2の話題に触れるのは難しいものだった。

 このセンターで海外から展示会を開くのは今回の日本が初めてで,地元のマスコミにも大きく取り挙げられた。

 展示会も無事終了し,V-2の射点を見学させてもらう事になった。V-2の射点は島の東海岸に位置し(展示会場は西海岸),不発弾も完全には処理されていないので立入り禁止になっている。長い年月で草木が生い茂り,いきなりその場に行ったのでは当時の様子を想像するのは難しい。センターにある射点の地形模型を,しっかり頭の中に入れてから出発した。

 射点は小高い丘の様に盛られた土手で囲まれていて,打上げと同時に燃焼試験もここで行われた。燃焼試験のスタンドの下にはコンクリートの大きな溝が掘られていて,試験時には水が溜められる。打上げは,そのスタンドのすぐ隣で行われた。

 現在,当時の面影を残しているのは,この土手と溝だけである。溝には水が溜まり,草木は生え放題である。まさに,「兵(つわもの)どもが夢の跡」と言った表現がぴったりだ。溝との位置関係から,発射点のおおよその位置が特定できるが,印も何も無い只の草原である。しかしいざ射点(らしき)場所に立ってみると,V-2の轟音が聞こえる様で,不思議な感覚であった。


V-2射点の地形模型。小高い土手に囲まれた射点では,燃焼試験のスタンドが一際目立つ。

 センター内に屋外展示されているV-2の傍に,桜の苗木を展示会の開催記念として植樹した。この地方は気候が寒冷で,無事育ってくれるか少し心配だが,いつの日か美しく咲いた桜の花を見に,再びこの地を訪れたいと思う。

(たけまえ・としあき)


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