No.205
1998.4

ISASニュース 1998.4 No.205

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浜浅内とロケット実験

平川 宏

 M-V-1号機の成功おめでとうございます。
 今更と思われるかもしれませんが,もう1度言わせて下さい。何故かと申しますと,内之浦で打ち上げたM-V型ロケットは,まだ1機ですが,能代では1段目ロケットだけでも2機,合計10回以上の燃焼実験を行っているのです。加えて,後で述べますが,私自身その開発実験に関わっているのです。

 能代ロケット実験場が秋田県岩城町道川海岸より能代市の農業中心の浜浅内地区へ移転してきたのは1962年のことです。風の松原等で知られた能代市に,もう1つ名所が加わり,以来,30数年,宇宙科学研究所とのおつきあいが続いています。

 それまでロケットという名前は漠然と知ってはいても,我々一般人の生活には無関係の分野と考えていたものが,突然身近にやってきたのです。当時は,夢と好奇心でいっぱいの若者でしたが,地区の住民共々実験場へ出入りし,実験の準備作業や場内の整備等,実験に関わるようになり,いつの間にかロケット実験の関係者になっていました。その間,実験場長も,初代の倉谷教授から現在の高野教授で4代目になりますが,それぞれ,親しく目を懸けていただきました。

 私が浜浅内地区の自治会長を拝命したのは今から4年前,実験場は,宇宙研最大のロケットM-V型の開発に着手した頃でした。

 ロケットの実験は音も大きいが,燃焼ガスも大量に発生します。しかも,打ち上げと違って燃焼終了までその場に止まっているのです。従って風向が陸側(居住地区)と反対側でなければ実験を行わない旨の申し合わせがなされていました。そして,実験当日は自治会長として実験本部に出向き,風向測定装置のデータを慎重に検討し,実行の最終的な判断に加わる役割を担っておりました。

 というわけで,最初に,実験に関わっていると申し上げた次第です。そして,それだけに,1号機の成功が我が事のように嬉しいのです。この喜びを噛みしめるまでには多少の心配事項もいくつかありました。「鶏が卵を生まなくなる」とか,「農作物等の被害」とかいろいろ懸念されましたが,宇宙開発の最先端を担う研究所としてできる限りの配慮をして頂いた結果,取り立てて挙げるような被害は無くこの成功をみたわけです。その他にも,地元住民としては,実験場や実験班の皆様との数え切れない程の思い出がよみがえってきます。浜浅内は,実験場も含め,あの忌まわしい日本海中部地震の被害から見事に立ち直りました。実験場の西側は日本海,その他の3方は有名な「風の松原」です。秋になれば,松茸にも匹敵するキノコ, 「金茸」狩りでにぎわいますが,実験班員の中には地元の人よりよく採る人もおります。さらに,能代市の子供達の夢を膨らませる「宇宙科学体験教室」の開催や「宇宙研究のあゆみ」のビデオテープ資料など数々のご配慮を頂きありがとうございます。特に,恒例となった実験班員と浜浅内地区住民との親睦を深めるための野球の試合は印象深いものがあります。実験班チームのエースはなんと,初代Mロケット計画主任且つ2代目場長の松尾教授で,我がチームの年寄り連中を次々となぎ倒す投球ぶりは驚きです。しかし,私一人のみ相性がよく4割近い打率を今もって維持しているつもりです。でも,そろそろ3回位でリリーフを仰いだ方がよろしいのではないでしょうか? 先生は本ニュースの編集長も兼務されておるそうですが,この部分をカットされないよう祈っております。そして,今年の夏のM-V-3号機の打ち上げ成功を心よりお折り申し上げております。

(能代市浜浅内地区自治会長 ひらかわ・ひろし)


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