No.201
1997.12

ISASニュース 1997.12 No.201

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テストマッチ

河野 長

 学会や調査などで国外へ出るといろいろ面白いことがある。昔は学会の合間にモンブランへ一人で登りにいったなどという快(怪?)事もあったが,近頃はホテルと会議場の往復だけしかできなかったという情けない出張の方が多くなっている。まあ出張旅費をもらって出かけているのだから文句を言えた義理ではないが。

 昨年夏は第4回のSEDIシンポジウムがオーストラリアであり,7月の1週間ブリスベンに出かけた。この時も学会参加と会議だけで,シンポジウム終了後アメリカやフランスの友人達がグレートバリアリーフあたりへ遊びに出かけるのを見送って,そのまま帰国した。(ちなみに彼らも勿論出張旅費をもらって来ている。違うのは出張期間にバカンスを組み合わせて,自分のお金で国外で休暇を取れることである。そろそろ日本の出張制度にもこうした自由度が取り入れられて良い頃だ。)しかしこの時はちょっと面白い経験もできた。そのてん末をここに書いてみたい。

 ブリスベンについた翌日には,早速学会の理事会が朝から夕方まで開かれた。会場のコンベンションセンターは,市の中心からちょっとはなれた川沿いの美しい公園の中にある。会議が終って,市内へ戻るためにフェリーを使ってみることにした。川から見るブリスベンの夜景はなかなか素晴らしく,見とれていたら次の乗り場で中年の男達が5,6人乗り込んできた。全員首も腕も太く胸板が厚いがっしりした体つきだ。ちょっと見ただけで「ラグビーのフォワードでもやっていたみたいな体型だな」と思った。そのうちに何となく彼らのリーダー格の男と話を始めた。聞くと彼らはニュージーランドからラグビーのテストマッチの応援に来たと言う。そういえば,ヨーロッパの5ヶ国対抗の向こうを張って,3ヶ国対抗というのをニュージーランド,オーストラリア,南アフリカの3国で始めたというニュースをどこかで聞いたことがある。ゲームはホームとアウェイの2試合ずつおこなわれ,ニュージーランド対オーストラリアの第一戦はすでにニュージーランドが勝った。今週末第二戦があるので応援に来たという。

 その晩はそれだけだったが,水曜日の新聞に「少々切符の残あり」という小さな広告が載っているのを偶然に見つけた。切符があるなら是非見たい。一緒にいた妻にそういうと,彼女はいろいろ手を尽くして本当に切符を手に入れてくれた。何でも切符を買いに行ったラグビー協会は郊外のかなり離れたところにあって,野道を歩いていったら小さな川に橋がなく,戻って大回りをしなければならなかったりしたと言う。

 おかげでとうとう土曜日の午後スタジアムに観戦に出かけることができた。ラグビー一流国同士のテストマッチを見るのは勿論初めてだ。出かけてわかったのは客の約3分の2はニュージーランドからの応援団,オーストラリア側のお客の方がずっと少ない。ニュジーランドがオールブラックスを国の誇りにしているのに対し,オーストラリアにはオージー・フットボールという人気のスポーツもあり,ラグビーに入れあげている人は相対的に少ないということだろうか。

 試合はまた大変だった。第一戦に負けているオーストラリアはホームゲームに勝とうと意欲にあふれており,名手キャンピージーの活躍などもあって前半を16−9とリードした。しかし後半は徐々にニュージーランドが力を見せ,終了間際にはとうとう逆転して25−32でオーストラリアの夢を打ちくだいた。オールブラックスにはロムーなど若いがパワフルなバックスが揃っており,体力的にもワラビーズを上回ったようである。素晴らしい試合でさすがはラグビーワールドカップの第1回と第2回の優勝国間の試合だと思った。観客達も興奮さめやらず,スタジアムから中央駅に向かってぞろぞろ帰りながら,途中のパブに少しずつ消えていく。我々も駅近くまで歩いてからパブに入って試合の余韻を楽しんだ。

(東京大学理学部教授 こうの・まさる)


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