No.196
1997.7

ISASニュース 1997.7 No.196

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地上局アンテナの開発

別段信一

 宇宙科学研究所とのご縁は昭和40年初め,私の三菱電機入社4年目頃,前身の東大宇航研時代からで,近々撤去のKSC18mアンテナの400/136MHz帯共用化工事からです。会社の上司に連れられ,共用化案を説明に伺い,斉藤成文先生,野村民也先生および林友直先生がご出席され,私の拙い説明をじっと我慢し乍らお聴きになられていたが,遂に斉藤先生が途中でご質問になり,私が「一応説明を終えてから回答します」と言い,続行してしまった。帰路,上司から「世界に冠たる先生のご質問に答えず続行するとは何事か」とひどく叱られ,対応の仕方を教えられたのが始まりです。この工事でご指導戴いた技術をNASDAやNTTの地上局に応用し,20年以上に亘り宇宙開発をサポート出来ました。それから,精測レーダ用アンテナ,10mテレメータアンテナ等に関与し,精測レーダの給電系改修では浜崎先生,市川満氏等の懇切なご指導を受け,開発設計の真髄に触れた思いがありました。

 昭和50年代半ばに,深宇宙探査の手始めとしてのハレー彗星探査計画が始まり,林先生を団長とする「NASAESA視察ツアー」に参加し,欧米の地上設備を数多く視察した。我々は既に 30m級衛星通信地球局アンテナや国立天文台45m電波望遠鏡を製造していたが,NASA64mアンテナの偉容には驚いた。総質量7200ォ,方位回転に静圧軸受けと油圧駆動で数秒角の精度を実現し,ミッション毎に取り換えるフィードコーン,cw400kw送信時の耐電力性を導波管側壁の水冷で実現,金属接触面の半導体効果による雑音発生への配慮等である。また,NASA地上局が産官学がほぼ均等に役割分担し,運用・保守・改修を局内部で行っていることを説明され,我が国との相異を強く感じた。余談になるが,ワシントンDCからケネディ空港に向う時,メンバーの一人の予約がキャンセル・搭乗拒否され,慌ててラガーディア空港に飛び,タクシーをとばしてようやく国際便に間に合わせるハプニングがあった。私の同僚で初海外出張故,飛行便確認を行っていなかった為だが,一時は米国居残りを覚悟した事件であった。スペインのNASA局,フランスCNES,ボンの100m電波望遠鏡,オランダのESTEC,キルナ射場等を視察でき,本当に収穫の多い旅であり,各地で種々の人々の懇切丁寧な応対を見,宇宙科学研究所の世界的評価の高さを実感し,林先生の折紙,松尾先生の手際の良さが光った。

 これらの結果と深宇宙探査設備空中線小委員会での審議結果を踏え,更には国立天文台の要望にも配慮しながら,臼田観測所64mアンテナの開発設計に着手した。設計から3年,アンテナの総質量1900ォ,工場仮組なしで現地でいきなり本組立を行い,一切の改造なしで完了したが,雪の中での突貫工事や 210ォクレーンを用いた大工事で事故なく完成できた。雑音温度,周波数選択反射鏡からの雑音や黄銅ネジの応力腐食等で苦労したが宇宙研の先生方の親身なご指導のお陰で,NASA64mに比較して70m相当との評をいただき,この設計技術をNASA64m改造に応用する為宇宙研/NASAが種々検討会を持たれたのを光栄に感じている。

 その後,KSC20mアンテナ,7m精測レーダアンテナそして18mアンテナ跡地に建つ34mアンテナと続いている。先般,日米先端技術会議で,ハワイ「すばる」望遠鏡が話題になり,小田稔先生が「三菱電機はすばるや宇宙研64mなどを手掛け,日本の宇宙開発・宇宙研究をよく支援している」と評された旨,同席した岡久雄氏より聞かされ,日頃の努力が報われた思いです。総ては廣澤先生を始めとする宇宙研の皆様のご指導・ご鞭撻の賜物です。心から御礼申し上げます。

(金沢工業大学教授・べつだん・しんいち)


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