No.194
1997.5

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1.3   M-Vロケット推進系研究開発を振り返って

 M-Vロケットの構想が検討され始めたのは,宇宙研全体が,当時開発を完了したばかりのM-3Sロケットの1・2号機によるハレー彗星探査機「さきがけ」「すいせい」の連続打上げ成功に酔いしれ,その余韻醒めやらぬ85年秋口のことでした。ところで,81年から84年にかけて進められたM-3Sロケット研究開発計画は,M-3Sロケットの1段モータを継続使用しつつ補助ブースタおよび2・3段を新規開発モータに換装して打上げ性能の倍増を目指す部分改良計画でしたが,1・2号機用キックモータを含めて規模・用途の異なる4種類ものモータを同時に新規開発するのは宇宙研にとってM-4S以来10余年振り,当時の若手研究者・技術者・実務者にとっては初めてのことでしたから,今回のM-V計画に勝るとも劣らぬ大事業でした。計画途上の83年5月には推進系開発の根拠地である能代ロケット実験場(NTC)が日本海中部地震による津波の直撃によって2ヵ月間その機能を喪う,11月には同計画の総帥たる森所長を病魔によって奪われるという悲運に見舞われた上に,推進系に関しては未解決の研究課題が次々と表面化して関係者を大いに悩ませました。このM-3S計画によって習得・考案された多くの学術的知識・知見と工学的新技術,問題解決への経験と自信が,M-V計画の推進系研究開発の基盤となったのです。

 この時期のM-Vロケットの基本案は,全段固体推薬の3段構成,各段推薬量60・30・10ォ,1・2段3軸姿勢制御,3段スピン安定という,M-3Sから補助ブースタを除いて大型化した穏健な構想でしたが,その規模はM-3S計画に先立つ77年当時秋葉教授によって提唱された「ABSOLUTE計画」の具体化に他ならず,有志一同心躍る想いで初期検討に参加したものです。ここで,ABSOLUTEは Advanced Booster by Solid Utilizing Technology of Extremity の略,総重量100ォ,直径3m,全長18.5mの3段式でペイロード比2%以上の宇宙探査用高性能ロケットの早期実現を目標に,固体ロケット技術の最高水準を極めるべく関連分野の全てを結集した総合研究開発を進めようという壮大な夢の構想でした。
 その後90年のM-V計画正式起動までの4年間に,関係各研究グループによって詳細な設計検討が進められ,機体外径が2.5mに設定されるとともに,1段推薬量を10ォ増やして多少大型化し,3段も3軸姿勢制御に改めて高級化したM-Vロケット最終案がまとめられ,スリムな「ペンシル」形の現役M-3Sと比べABSOLUTEに似てずんぐりした「クレヨン」形のM-Vが紙面上に姿を現したのです。


 モータ直径が,M-3Sまでの1.4mからほぼ倍になるM-Vでは,推進薬の燃焼速度を同程度に高めないと,モータ燃焼時間が長くなって著しい性能劣化を来します。経験のない高燃速推進薬の開発には長期間を要する見通しであったため,計画正式起動に先駆けて87年からその基礎開発研究に着手しました。89年10月,能代ロケット実験場(NTC)で行われたTM-800TVC真空燃焼実験は,当時オゾン層破壊物質としてその使用が規制されつつあったM-3Sの2次液体噴射推力方向制御(LITVC)装置の噴射体フレオン114B2を低公害の新噴射体に変更するための性能比較試験が主目的でしたが,その供試モータの充填推薬に研究成果の試作高燃速推進薬を採用し,併せてその燃焼特性の調査を試みました。このことがNHKのTVニュース番組NC-9で「宇宙研,新型ロケット開発に着手!」と過大に報道されたため物議を醸し,監督省庁の誤解を解くための始末書を認めさせられたのは,筆者のほろ苦い思い出です。同実験では,同じく発癌性物質として指弾を受けていた石綿(アスベスト)を用いたケース断熱材に替わる新素材の性能評価試験も試みられ,ここで好成績が確認された推進薬,ケース断熱材および噴射体が,それぞれM-Vロケットの1・2段モータ充填推薬,全段モータのケース断熱材および2段モータLITVCの噴射体として,後日,正式採用されたのです。この意味で,NTCに現地取材に来られた若いNHK担当記者の報道は誤っていなかったと言えましょう。

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 計画正式起動後のM-V推進系の尻上がりの開発ペースは,NTCにおける各段試作モータの燃焼試験の実施経過から一目瞭然でしょう。1号機用キックモータを含む4種類の新開発モータについて,各縮尺シミュレーション・モータ1基および実寸大試作モータ2基を基本方針として,合計8回・10基の試作モータの大気もしくは真空燃焼試験が実施されましたが,開始当初のスケジュールが間延びしているのは,松尾教授の「開発経緯」の項に既述されている様に1・2段モータのケース素材の研究開発に手間取ったためで,これが尻上がりの開発ペースと計画完了が予定より遅れて95年までずれ込むことになった主な理由です。
 1段モータの燃焼試験は,M-V計画の一環として新営された大気燃焼試験棟で行われましたが,その設計・施工に関しては,建設立地条件が岩盤に届くパイルを打ち込めない日本海に面した海浜であり「砂上の楼閣」となりかねないことと噴煙によって隣接海面を汚濁しかねないことに特に配慮する必要がありました。海水汚染防止のためにモータのノズル後端から僅か28mの位置に設置しなければならなかった耐火コンクリート製の火炎偏向盤については,予め,スーパーコンピュータを用いた最先端の数値流体力学を駆使して,70ォを越える大量・優勢なノズル噴流を45°上空に偏向させて大気中に拡散させるための最適形状設計を実施しました。94年6月に行われた同試作1号機モータ大気燃焼試験の終了直後,一部黒こげになりながらもモータ推力450ォによく耐えて寸分の狂いもなく立ち続けている試験棟建屋の姿と海面を殆ど汚濁することなく火山の噴火を見るように500mを越える中天まで立ち昇る噴煙を見て,一同安堵しかつ「してやったり」と悦にいったものです。後日,この時行われた周辺地区の土中振動計測結果から,NTC付近の白砂の堆積層は地下約50mにも達していることが明らかになりました。
 2段から上の上段モータの燃焼試験は,全て,既設の真空燃焼試験棟で行われましたが,内容積450m3,総重量75ォの天蓋部が自走装置によって退避可能な独創的な構造を持つ大型真空槽を基幹とする同設備は,M-3S計画の一環として81年に設置されたものです。M-3Sの2段モータとM-Vの3段モータがほぼ同規模であることを考えれば,設置当時,同設備が当面の用途に照らして如何に大規模かつ先駆的なものであったかお分かりでしょう。これも,やがて来るべきABSOLUTE計画具体化の時に備えるための先取り的配慮によるもので,決して当時影も形もなかったM-V計画を直接想定したものではなかったのです。

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 NTCにおける一連の燃焼試験シリーズのうち,最初の大規模実験であった上記1段モータ試作1号機の大気燃焼試験では,担当者としては十分過ぎる程の予告連絡を済ませたつもりであったにもかかわらず,午前11時点火による試験直後から,不意もしくは予想を越えた轟音と地鳴りに対する一般市民の問い合わせと不満の電話が鳴り止まず,2回線しかない実験場の外線は相模原本所との連絡もままならない程のパンク状態となってしまいました。連絡先の筆頭であった能代市役所においてさえ,折悪しく開催中の定期市議会の議場から地元協力会の会長たる宮越市長以下少なからぬ市役員,議員が「すわ,日本海中部地震再来!」とばかり緊急避難しかけたという笑い話まであったそうです。これに懲りて,次回から鹿児島宇宙空間観測所(KSC)の慣例に倣って燃焼試験の開始と終了を音で知らせる花火の打上げと地元浅内地区へのスピーカによるリアルタイム広報車運行の励行および監督官庁や新聞・TV等報道機関への予告広報活動の徹底に努めた結果,各方面からの叱責は計画完了まで皆無となりました。この努力が逆に市民の関心を高める効果を生み,その後の燃焼試験では,従来殆ど報道関係者しか参集しなかった場外見学席に多くの一般市民が押し掛け,安全確保のための交通規制が回を重ねるごとに大変になっていきました。
 安全に対する自信も万全となった95年10月のシリーズ最後のキックモータ試作2号機の真空燃焼試験では,市教育委員会のたっての要請もこれあり,実験場境界に隣接する位置にまで 見学席を近づけた上,実験日を休校日にあたる第2土曜日の14日に設定して近隣の児童生徒に直視見学の機会を提供する便宜を図ることとしましたが,試験終了後の場内開放では駐車スペースが不足する程の盛況となり,能代市民あげての関心の高さとその支援のエールに実験班一同感激したものです。
 拍手が起こったKM-V1燃焼試験の見学者席
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ロケット搭載カメラが捉えた  
3段モータノズルの伸展・点火 

 M-V-1号機飛翔実験における搭載TVカメラの映像で一躍注目を浴びた伸展ノズルも,実は,ABSOLUTE計画の中でその必要性が指摘され,多年にわたる研究開発の結果M-3S-4号機のキックモータに初めて試験的に搭載された既存技術の改良型なのです。10数本のFRP製の中空丸棒を螺旋状に巻き込み畳み込んだだけの簡単な構造の軽量バネ機構がノズル内部空間に仕込まれており,2組のマルマンバンドの拘束を順次解除することにより,これが元の長さに戻ろうとするバネ力によって,先ず2段に畳み込まれていたノズルを伸展させ,次いで自身を離脱・投棄させる仕掛けです。
 ところで,あの印象的な映像が,ノズルが伸展終了し3段モータが無事着火した直後にブラックアウトしているのも,実は同モータに装備されたもう一つの新技術によるものなのです。通常固体モータの点火器はモータの先端部に固定されていますが,M-Vの3段およびキックモータには,ノズルのスロート直後に装着しておき,モータが安定に着火するとその噴流の圧力で吹き飛ばしてしまう仕組みの「投棄式後方着火点火器」が装着されていたのです。ケース軽量化と充填薬量の増加および不用重量の削減によってステージ推進性能の大幅な向上が期待できるこの新技術も,M-3S計画の途上で開発され4・5号機のキックモータでその有効性が実証済みの既存技術を改良・大型化したものです。吹き飛ばされた点火器が離脱後の第2段頭部に激突してカメラもしくは信号伝送系を破壊したのが,ブラックアウトの原因だったという訳です。

 さて,M-3SおよびM-V計画の推進系研究開発のいずれにもその中枢に居合わせるという幸運に恵まれた筆者にとって,これら2つの計画は連続したもので,M-V-1号機打上げ成功は,「3段飛び」に例えれば,ABSOLUTE計画を実現するためのホップ・ステップの2段の跳躍をやっとクリアしたに過ぎません。去る2月12日の打上げ成功の瞬間の偽らない実感としては,ステップよりホップの段階の方が遙かに達成感が強く,かつ熱く,その余りの順調さに対する虚脱に近い拍子抜けと「現役引退」の4文字が念頭を去来する冷めた充実感だけが記憶に残っています。M-Vは,機体規模こそABSOLUTE計画を越えたもののその質的性能は未だその目標とする水準に達していません。ABSOLUTE計画を真に極めるべき固体ロケット推進系研究開発「3段飛び」の最終跳躍・ジャンプは若い次世代の研究者・技術者にお任せして,老兵は,今後,その後方支援とこれまでに摘み残した落ち穂拾いの基礎研究に専念したいと考えています。

(高野雅弘)



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コラム4 M-Vの成功に亡き友を偲ぶ
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