1.3 M-Vロケット推進系研究開発を振り返って
M-Vロケットの構想が検討され始めたのは,宇宙研全体が,当時開発を完了したばかりのM-3Sロケットの1・2号機によるハレー彗星探査機「さきがけ」「すいせい」の連続打上げ成功に酔いしれ,その余韻醒めやらぬ85年秋口のことでした。ところで,81年から84年にかけて進められたM-3Sロケット研究開発計画は,M-3Sロケットの1段モータを継続使用しつつ補助ブースタおよび2・3段を新規開発モータに換装して打上げ性能の倍増を目指す部分改良計画でしたが,1・2号機用キックモータを含めて規模・用途の異なる4種類ものモータを同時に新規開発するのは宇宙研にとってM-4S以来10余年振り,当時の若手研究者・技術者・実務者にとっては初めてのことでしたから,今回のM-V計画に勝るとも劣らぬ大事業でした。計画途上の83年5月には推進系開発の根拠地である能代ロケット実験場(NTC)が日本海中部地震による津波の直撃によって2ヵ月間その機能を喪う,11月には同計画の総帥たる森所長を病魔によって奪われるという悲運に見舞われた上に,推進系に関しては未解決の研究課題が次々と表面化して関係者を大いに悩ませました。このM-3S計画によって習得・考案された多くの学術的知識・知見と工学的新技術,問題解決への経験と自信が,M-V計画の推進系研究開発の基盤となったのです。
この時期のM-Vロケットの基本案は,全段固体推薬の3段構成,各段推薬量60・30・10ォ,1・2段3軸姿勢制御,3段スピン安定という,M-3Sから補助ブースタを除いて大型化した穏健な構想でしたが,その規模はM-3S計画に先立つ77年当時秋葉教授によって提唱された「ABSOLUTE計画」の具体化に他ならず,有志一同心躍る想いで初期検討に参加したものです。ここで,ABSOLUTEは Advanced Booster by Solid Utilizing Technology of Extremity の略,総重量100ォ,直径3m,全長18.5mの3段式でペイロード比2%以上の宇宙探査用高性能ロケットの早期実現を目標に,固体ロケット技術の最高水準を極めるべく関連分野の全てを結集した総合研究開発を進めようという壮大な夢の構想でした。
その後90年のM-V計画正式起動までの4年間に,関係各研究グループによって詳細な設計検討が進められ,機体外径が2.5mに設定されるとともに,1段推薬量を10ォ増やして多少大型化し,3段も3軸姿勢制御に改めて高級化したM-Vロケット最終案がまとめられ,スリムな「ペンシル」形の現役M-3Sと比べABSOLUTEに似てずんぐりした「クレヨン」形のM-Vが紙面上に姿を現したのです。
モータ直径が,M-3Sまでの1.4mからほぼ倍になるM-Vでは,推進薬の燃焼速度を同程度に高めないと,モータ燃焼時間が長くなって著しい性能劣化を来します。経験のない高燃速推進薬の開発には長期間を要する見通しであったため,計画正式起動に先駆けて87年からその基礎開発研究に着手しました。89年10月,能代ロケット実験場(NTC)で行われたTM-800TVC真空燃焼実験は,当時オゾン層破壊物質としてその使用が規制されつつあったM-3Sの2次液体噴射推力方向制御(LITVC)装置の噴射体フレオン114B2を低公害の新噴射体に変更するための性能比較試験が主目的でしたが,その供試モータの充填推薬に研究成果の試作高燃速推進薬を採用し,併せてその燃焼特性の調査を試みました。このことがNHKのTVニュース番組NC-9で「宇宙研,新型ロケット開発に着手!」と過大に報道されたため物議を醸し,監督省庁の誤解を解くための始末書を認めさせられたのは,筆者のほろ苦い思い出です。同実験では,同じく発癌性物質として指弾を受けていた石綿(アスベスト)を用いたケース断熱材に替わる新素材の性能評価試験も試みられ,ここで好成績が確認された推進薬,ケース断熱材および噴射体が,それぞれM-Vロケットの1・2段モータ充填推薬,全段モータのケース断熱材および2段モータLITVCの噴射体として,後日,正式採用されたのです。この意味で,NTCに現地取材に来られた若いNHK担当記者の報道は誤っていなかったと言えましょう。