No.194
1997.5

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1.1 Mロケットの歴史とM-V開発の経緯

【歴史】

L-4S-5による「おおすみ」の打上げ(1970.2.11)

 Mロケットは,1971年のM-4Sの成功以来改良を重ね,わが国の宇宙科学研究を支えてきた。初代のM-4Sは4段式で,尾翼とスピンによって姿勢の安定を保ち,いわゆる重力ターン方式による軌道投入が行われた。この方式を実証するためのL-4Sロケットによって,1970年わが国初の人工衛星「おおすみ」が誕生している。2代目のM-3Cは3段式で,新規開発の第2・3段を用い,第2段に推力方向制御装置(TVC)を導入することによって,軌道精度が格段に向上した。M-3Cの第1段を従来の3セグメントから4セグメントに延長したのがM-3Hで,約20%の全備重量増で約50%の軌道投入能力増を実現した。さらに第1段にTVCを導入したのが3代目のM-3Sで,これにより機体としての完成度が高まった。

M-3SII型ロケット(1985〜1995)

第4世代のM-3Sは,M-3Sの第2・3段を新規開発して大型化するとともに,補助ブースタを2基のラムダロケットに変更することによって能力を増強したもので,各段における質的な向上によって約20%の全備重量増で2倍を越える軌道投入能力を実現した。M-3Sは,1〜2号機の「さきがけ」「すいせい」によるハレー彗星探査にはじまり,X線天文衛星「ぎんが」,オーロラ観測衛星「あけぼの」,工学実験(スウィングバイ技術)衛星「ひてん」,太陽観測衛星「ようこう」,X線天文衛星「あすか」と7つの科学衛星の打上げに成功し,これによりわが国の宇宙科学は世界の最先端に躍り出ることとなった。このような状況を踏まえ,1990年代後半以降の月・惑星探査を含むより高度な科学ミッションに対応すべく計画されたのがM-Vである。


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【位置づけ】

 M-Vの位置づけは,1989年に改訂された「宇宙開発政策大綱」において明らかである。すなわちそこでは「科学研究の分野においては,これまでに国際的に高く評価されるような顕著な実績をあげているところであるが,引き続き,同分野の活動の一層の推進を図る」とあるのを承けて,Mロケットについて「…1990年代以降における科学ミッションの進展に対応して使用するため,M系ロケットの大型化を図る」とし,「…M系ロケットの開発については,宇宙科学研究所鹿児島宇宙空間観測所の射場における打上げ可能範囲及び全段固体ロケット技術の最適な維持発展等の観点を考慮しつつ,同研究所において引き続き行う」とされている。キーワードは,宇宙科学研究の一層の推進と全段固体ロケット技術の最適な維持発展,さらには付帯条件として内之浦の発射場の有効利用である。

【開発の経緯】

 1995年1〜2月の打上げを目標とし1990年度から始まった実際の開発は,1992年5月大きな困難に逢着する。M-Vでは,第1・2段のモータケースとして従来のHT-210に代えてより高強度の超高張力鋼HT-230を開発使用する予定であったが,予備的な要素試験を経て実施された実機サイズモデルでの耐圧試験で規定圧以下で熔接部が破断したのである。当初は非破壊検査による潜在亀裂発見の分解能をあげること等により解決できるものとやや楽観していたところ,当該材料の水素脆性が予想を越えて高いことが判明するに至り,重大な局面を迎えることとなった。結局は,
 1. 強度を若干下げ靭性を上げる方向での素材の変更
 2. 熱処理方法の改良
 3. 非破壊検査の強化
 4. 燃焼圧力以上での耐圧試験による実機ケースの最終的な品質保証
によって切抜けたわけであるが,特に素材の変更はそれに応じた製造法の確立まで含めるとそれだけで1〜2年を要するものであり,時間が最大の問題であった。製造メーカーを含む関係者の努力,2回予定していた第1段の地上燃焼実験の1回目を厚肉ケースを用いて燃焼特性の把握のみに絞る等の方策によって,これによる遅れを最小限に食い止められたのは幸いだったと思っている。

M-Vロケット

 その後地上燃焼実験も無事終了し,1996年夏期の打上げを目指して準備を進めていたところ,同年5月の振動環境試験において新開発のFOG( Fiber Optical Gyro )に規定以上のドリフトが発見された。これは角振動環境下で,ジャイロの入出力特性の非線型性と周辺を含めたジャイロの構造特性による振動の非対称化とが結合して生じたもので,原因の同定と対策(入出力特性をソフトで線型化)のため,さらに半年遅れて今回の打上げに至ったものである。特にスケジュールに甚大な影響を与えた事件にのみ触れたが,これまでの逐次改良と異なりほとんどすべてのハードウェアが新規開発という状況のなかで様々な問題を解決しながらの成功であった。
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【体制】

 開発体制としては,M-3Sのそれを踏襲して計画主任,同副主任のもとに各サブシステム担当班を配し,所内のサブシステム(推進,構造,制御,地上系等)責任者によるM-V定例会議とメーカと所内混成の各サブシステム検討会とを主たる検討及び意志決定の場として開発が進められた。詳細な技術的検討は後者において行われ,前者では各サブシステム間の情報の流通のほか,開発スケジュール,各サブシステムへの検討事項の指示など全体に関わることの調整ならびに主要な事項に関する意志決定がなされた。初号機打上げまでの間に定例会議は48回開催され,サブシステム検討会で最も回数の多かった制御系のそれは22回を数えている。またより広い範囲での周知また意見交換の場としては,観測ロケットをも含めた所内関係者全員参加の所内チーフ会議が活用された。松尾計画主任,雛田,広沢両副主任で出発した体制は開発末期の1996年から小野田計画主任体制(副主任制は廃止)へと変更された。
 開発に伴う大型の試験はその準備ならびに実施に責任を負う実験主任のもとに行われる。能代実験場におけるすべての地上燃焼試験は高野教授のもとで,また第1段分離機構の飛翔試験機ST-735-2の内之浦からの打上げは川口助教授のもとで行われた。M-Vの初号機の実験主任が上杉教授であったことは既報の通りである。

(松尾弘毅)



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