No.194
1997.5

コラム

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M-Vの広報

 1996年12月19日,M-V-1/MUSES-Bフライトオペレーションの投げ込みが終わった。スケジュールは,
 (1)1月24日衛星公開と記者会見
 (2)1月27日衛星と頭胴部組付
 (3)1月31日頭胴部移動・2段目に取付
 (4)2月6日電波テスト
 (5)2月7日打上げだった。
 1月22日KSCに入るなり,スケジュール変更による投げ込み,報道機関から休む間もないほどの電話質問,連日場内放送で呼び出され,実験班から「佐々木さんはモテルネ」,「席に座っていたら」と嫌みを言われる。世界的なミッションにもかかわらず広報は1人(後日応援あり),NASDAは打上げ時は24人体制,羨ましい。以前から報道機関からの衛星公開時期の問合わせが多く,対応に苦慮していたが,1月24日無事終了(報道機関の方々も何故か胸をなで下ろす)。2月1日の衛星組付の公開は,志布志湾に産業廃棄物処理船が入港したため,一人も見えず残念。2月7日頭胴部移動日には地元婦人会より千羽鶴を贈られ,和やかな雰囲気に実験主任もつい顔がほころぶ。
 2月10日電波テスト。途中降雨の為中断したが無事終了。日が経つにつれ報道機関の人数も増え60人前後となる。人が増えると何かしら起きるもの。宮原報道班取材席を地元TV局が場所を広く専有し,他社が取材できないので説得して欲しい旨再三再四苦情を言われ,その都度取材席は狭隘のため譲り合って使用願いたいこと又記者室のコンセントも1口15A,4口しかなく,これも同様にお願いして歩く(まるで選挙運動のよう)。
 打上げ当日も危険区域への立入り,取材指定地域以外への取材要求,来賓へのインタビュー等々の対応に奔走。毎日顔を合わせているとジョークも出,厳しい中にも笑いもあり,「打上げ後は笑顔で記者会見したいですね」と言いながら一緒に宮原へ。成功すれば明日の見出しは「宇宙への幕開け」又失敗すれば「…」等言いながら,発射時刻15秒前,黒煙が出る(前もって説明済み)が安堵の顔々。
 発射!報道機関から「いけ,いけ…」の声援が出る。場内放送もシーケンス通りとの発表。打上げ後の記者会見でも笑顔の顔々…,ロケット搭載VTRの放映時は感嘆の声があがった。

(佐々木英俊)



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