No.190
1997.1


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 H-ロケット試験3号機に搭載されたSFUは平成7年3月18日17時01分(日本時間)に,宇宙開発事業団の種子島宇宙センター吉信射点より打ち上げられ,発射後約13分16秒に成功裏に分離された。共に打ち上げられたGMS-5(ひまわり5号)も発射後約27分47秒に無事に分離された。

図39. H-ロケットのノーズフェアリングに収められた
SFU(NASDA提供)


 この打上げはもともとの計画では2月1日に予定されていたが,射場でのSFU側の度重なる不具合,特に推進系の不具合が頻発し,約1.5カ月にわたって延期されたものである。推進系の責任者と射場作業の現場責任者を担当した私としては,打上げ途中でSFUが爆発事故など起こさないことを願わずにはおれなかった。結局SFUは栗木教授を初めとする担当各位の並々ならぬ勇気と決断をもって打上げ日を迎えることができたが,とりわけ印象的だったのは「漁業交渉」にあたられた小山教授と,打上げ時の上杉教授の「念力」であった。種子島での射場作業を今振り返ると,あれこれ至らなかった点が思い起こされはするが,曲がりなりにも打上げまでにこぎ着けることができたのは,秋葉前所長や木下前管理部長の号令のもとに多くの方々の惜しみない尽力があったればこそと痛感する。田中前国際協力係専門員の「やっとここまできましたね」という言葉には関係各位の,人には言えぬ苦労が偲ばれた。長かった搭載システムの最終試験,推進剤や火工品の装填を終えた出発直前のSFUは金色のMLIと銀色のシルバーテフロンに輝き,文字どおりピカピカの一年生であった(図39)。


図40. エンデバーの着陸(NASA提供)
 1996年1月20日2時42分(米国東部標準時間),SFUを回収したスペースシャトル・エンデバー号がケネディースペースセンターに着陸した(図40)。エンデバーはシャトル整備棟で荷物室のドアを開き,10カ月に及ぶ宇宙の冒険を終えたSFUを披露してくれた。一見して打ち上げ前と全く変わっていないようにも思えたが,シャトル垂直整備棟に移動してから近づいて見ると,切り離された太陽電池パドルの跡も生々しく,金色や銀色であったはずの表面はすっかり曇り,強烈な太陽光による日焼け跡が厳しかった旅程を物語る。デブリの衝突痕も一つ二つ……,いやよく見ればとても数え切れたものではない。その後NASAから引き渡されたSFUは,米国民間施設であるアストロテック社において火工品,推進剤,一部の実験サンプルを降載する等の後処置を行い,同年3月28日に横浜港へ無事に到着した。この間の作業は米国側の惜しみない協力と日本側の各担当および参加メーカーの献身的な努力により,極めて順調に進捗した。これら一連の作業についても,現場責任者を担当させていただいたので,米国企業も含め関係各位に深く感謝したい。米国の関連へは高水主計課専門員らと同年8月にお礼の挨拶に行き,お世話になった方々への栗木教授からの感謝状を手渡すことができた。

(都木恭一郎)



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1995年12月26日
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