No.190
1997.1


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 筑波という名前が示すとおり,筑波研究学園都市の南側の1区画に所在している。そして,SFUの実験ペイロードの3分の1を構成している,宇宙開発事業団が開発した「SFU搭載実験機器部(EFFU)」の,開発プロジェクトの本拠地であると共に,SFUの回収操作を行った若田宇宙飛行士の,宇宙開発事業団での「本籍地」でもある(実際は宇宙飛行士訓練のために,米国に滞在している期間の方が遥かに長い)。 開発以外の業務としては,研究,追跡管制,宇宙機の試験が挙げられ,SFUに関連した研究では,材料曝露実験の一部を担当した。

 追跡管制はSFU計画以前から,宇宙科学研究所と宇宙開発事業団との間で協力関係があり,人工衛星の軌道決定等を支援している。SFUにおいても,内之浦にある鹿児島宇宙空間観測所の運用を,宇宙開発事業団の沖縄追跡管制所が支援したが,沖縄からのデータは筑波宇宙センターを経由して,宇宙科学研究所内の相模原SFU運用センターまで伝送された。データ中継といえば,SFUの回収状況を刻一刻伝えたNASAセレクトTVの画像も,筑波宇宙センターを経由して,関係機関等へ配信された。

 宇宙機の試験という観点では,筑波はSFUにとって「第二の故郷」と言える。SFUはスペースシャトルのカーゴベイに内接する必要から,日本の衛星では最大の直径であった。そこで,他の設備では出来ない各種のシステム試験を実施するために,筑波宇宙センターへ運ばれた。主な試験として,H-ロケットと,スペースシャトルの双方の宇宙機の,環境条件に適応していることを証明する,モーダルサーベイを含む振動試験や,写真に示す音響試験,そして,宇宙空間の過酷な環境を模擬する熱真空試験等が実施された。

図38. 筑波宇宙センターにおける音響試験


 さて,筑波といえば,「ガマの脂」で名高い筑波山が思い浮かばれ,「陸の孤島」と言うイメージが強いために,輸送には船便が用いられたと聞くと,驚く人が多いと思われる。実は,前述のようにSFUの直径が大きいので,陸送が困難であり,利根川と,霞ヶ浦を利用した水運が用いられたのである。本件に関しては,霞ヶ浦の渇水期には雨乞いをした(?)と言う,宇宙科学研究所や無人宇宙実験システム研究開発機構を始めとする,関係者の苦労話が聞けるはずである。

 ところで,SFU実験機器部(EFFU)の,開発担当者は元から筑波宇宙センターに居た訳では無い。SFU計画が始まった時は,浜松町の本社地区で業務を行っていたが,SFU計画が折り返し点を過ぎた平成5年4月に,筑波宇宙センターに引越した。

 宇宙科学研究所の所在地である相模原市は,狸が出没すると言うので有名だが,筑波宇宙センターも構内を雉が闊歩するというように,「田舎度」では決して他にひけを取らない。

 かくして,会議の場を提供していただいている,無人宇宙実験システム研究開発機構まで2時間,宇宙科学研究所まで4時間と,移動だけで十分に「仕事」をしてしまう,と言う事になった。

 いきおい,会議等への参加も必要最低限とならざるを得なくなった。従って,緊急を要する内容には,電話とファクシミリだけで対応するというように,関係各方面には,色々と迷惑を掛ける事となった。

 そのような状況においても,SFU計画が有終の美を飾れたのは,やはり,人の和によるものではないかと思われる。

 母体の異なる機関が,それぞれの役割分担を責任を持って実行する事はもちろんだが,他機関は相手機関が役割分担を果たすことを信じなければ,共同プロジェクトは成立しない。

 国内のみならず,米国との共同作業もあったSFUプロジェクトは,見事にそれを示したと思われる。

 と,言うわけで,なかなか本題に入れなかった(入らなかった?)が,筑波宇宙センターから関係者の皆様への感謝をこめて,結びの言葉としたい。

(武井 満,宇宙開発事業団)


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