No.181
1996.4

ISASニュース 1996.4 No.181

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年を越したペンシル40周年

長 友 信 人  

 年度末が近くなると心残りなことが凝縮されてくる。ペンシル40周年,おおすみ25周年ということで,糸川英夫先生をお招きして記念講演会が開かれたのはもう1年近く前,昨年の4月22日のことであった。私も久し振りに糸川先生にお会い出来て良かったと,これを企画された秋葉所長に大いに感謝した。

 その時糸川先生に記念の時計を贈呈するはずのところ,記念の銘を入れるのに時間がかかって間に合わなかったとのこと。秋葉先生より,ご苦労だが糸川先生に時計を届けてくれ,旅費も何とかする,と仰せがあって,私の関連行事はこの時に始まった。

 糸川先生はその少し前からお住まいが長野になっていたので,帰りがけにちょっと寄るわけにはいかないが,届けるだけなら1日ですむ仕事であった。しかし,先生ご自身に手渡すとなると話は別である。ご都合を聞くと,「明日ならいいが,その後はしばらく出かけている。ここに落ち着くのは来月だ」という秘書の話。さらに,その日が近くなった頃に,都合が悪くなったので変更したい。という調子で相変わらずお忙しく,実現したのは夏も盛りに近い7月20日であった。

 上田に着くと晴れていた。タクシーの運転手が女性なので話がはずむ。こんな天気は1ヵ月ぶりだそうである。糸川先生はテレビや雑誌に出てくる古い田舎の屋敷をリニューアルした家に私を迎えてくださった。中は花がいっぱいでまるで天国のようである。「今日は私の誕生日ですよ」と,さりげなく私をびっくりさせる。離れが組織工学研究所のオフィスとなっている。私はそこで時計の包みを手渡した。先生は包みをあけてうれしそうであった。ついでに私は長い間隠し持っていた糸川先生の戦時中の著書をお返ししたが,これも喜ばれた。全て順調であった。もう後は写真を撮るだけである。私は娘に借りた新式のカメラのスイッチを入れて,ピッピ,ヒューと音を立てるカメラを信頼し切って何枚も先生のうれしそうな姿をカメラに収めたのであった。大事な写真に間違いがないように,記録係の前山さんに撮り終わったフィルムの現像と焼付けをお願いした。ここまでは順調な前半である。

 後半は前山さんからの電話ではじまった。「長友さん。あれ何も写ってないよ?」。ぎゃふんである。まさかと見たが,フィルムは抜け殻のように何も写っていない。「記録班を連れて行くべきだったなあ。それにしても,しょうがないカメラだ。故障していれば動かなければ良いのに」と呪いつつ、それでも何か痕跡がと思ってフィルムをよくよく見ると,日付だけが入っていた。糸川先生の姿がなくて,糸川先生の83才の誕生日の日付,1995.7.20だけが写っているフィルムのコマが延々とほぼ1本続いている。

 これはまずい。私は縁起を担ぐほうだ。なるべく早く撮り直しに行こうとしたが,8月は旅行に出ておられたり,ほとんどチャンスがなかった。私は「早くしないといけませんよ」と一人で勝手に気にしていたが,あっと言う間に秋になり、森先生の13回忌のロケットOB会で「糸川先生が入院した」と聞いて,「えっ!やっぱり」と口に出かかるが,それはこっちの話。とにかく,秋葉先生と相談をして,先ずは,私がお見舞いに行くことになった。もちろん,この時はカメラも持てないほど気が重かった。

 幸い,糸川先生の病気は快方に向かい,年明けて1月末,秋葉先生の退官後の挨拶廻りなどが一段落した頃,それを待っていたかのように退院された。私は,秋葉先生を案内して7月と同じ場所で糸川先生にお会いすることになり,名誉挽回のチャンスに恵まれた。

 糸川先生はお元気であった。「ビッグバンで宇宙が始まったというでしょう。始まったのを研究する人は多いけど,宇宙がどう終わるかを考えている人はいない。私はそれを考えてるんですよ。そんな人間がいてもいいでしょう?」と,相変わらず,相槌を打つのに困るような話を次々とされる。私は,曖昧ににこにこするだけである。秋葉先生はと見ると,やっぱり同じような顔付で,いつもの偉そうな顔ではない。「糸川の前に平等」だった昔をちらっと思い出した。

 しかし,「それじゃ先生の写真を撮らせてください」と秋葉先生が立派なカメラを取り出してガシャリ・ガシャリと撮り始めると,昔,「写真はこうやって撮るんだよ」といって道川で手本を見せてくれた通りになり,たちまち「平等」ではなくなった。私は「もう僕のはどうでもいいや」という気になり,修理してきたカメラでおそるおそる何枚か撮ったが,今もってフィルムはカメラの中にある。ここにある写真は秋葉先生の撮られたものである。やっぱり兄貴は偉い!お蔭でやっと私の肩の荷が下りた。

 現在,糸川先生はリハビリ中とのことである。元気になったらまた外国に行くのだと言っておられたが,一日も早く実現出来るようお祈りしたい。

(ながとも・まこと) 


(編集人より:秋葉先生と長友さんはともに糸川先生の弟子である。もちろん長友さんの方が弟弟子であるが,記録によると下は私までが弟子だそうである。)


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