No.027
1983.6

電磁圏観測  
ISASニュース 1983.6 No.027

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- No.027 目次
- 国際地球観測年(IGY)記念号にあたって
+ 我国での宇宙観測のはじまり
- IGYの頃
- ユーゴスラビアにロケット推進薬製造技術のうりこみ(1963年)
- IGYと初期のロケット研究
- 我国の電離層ロケット観測の成果
- 大気光および大気光学観測
+ 電磁圏観測
- お知らせ
- 編集後記

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大 家 寛  



 地球観測年(IGY)当時私はまだ大学年生であったが,この時京大電子工学教室にも大変活動的な研究室があった。何か夜間にわたる観測活動に加えて,昼間は暗室でフィルムが大量処理されていた。あとでわかったのであるがIGY期間,電離層の定点観測を行っていたのであった。その後,縁あって宇宙空間の研究分野に入り,新しく開かれた電離層研究施設の助手として1961年7月秋田の道川海岸で行なわれたK-8-7号機の観測のお手伝に出かけた。このロケットには,IDと略称され電離層のイオンや電子密度を測定することを目的とした観測器(電波研究所・平尾研究室長担当)と,TWと略称される中間圏の風と温度(京大工及び大阪市大,前田・町屋研究室担当)の観測器をのせていた。全長11m,重量1.5トンの観測ロケットは,何日間か天候待ちした後,7月21日発射された。午後の日にキラリと輝き,小さいとはいえ,大轟音をのこして上層大気に突入していった。高度157kmに到達し,待望の電離層観測に成功したのである。その時の感動は今も忘れられない。

 その後,全国科学(理工学)者の参加を約束する共同利用研として宇宙航空研究所が誕生した,諸先輩の努力の結晶であった。観測ロケットも,K-9M,そしてL-2及び3型へと発展していった。特に1964年IQSYの期間には,20機近い観測ロケットが,年6回に亘り集中的に打ち上げられたこともあった。搭載された観測機器も
1)電離層中性大気の運動,
2)電子密度・温度,
3)イオン密度・温度,
4)イオン組成及び質量,
5)太陽紫外線,
6)電離層中のグロー
といった,エアロノミーにおける物理の解明に必要な情報はすべてカバーするようになった。1966年,科学衛星観測の準備がはじまる頃には,ほぼ基礎的な手法は固まったのである。特に電子密度と温度は,我国が世界に先がけて高い精度の測定器を開発していることをここに特に記させていただきたい。

 さらに電離層観測の高度が上ると磁気圏へのつながりが生れる。1966年7月に発射されたL-3H-2号機は高度1800kmに達し,その意味で電離圏を越え,磁気圏への入口に達したものである。Kクラスロケットよりひとまわり大きいラムダロケットは宇宙空間への旅立ちを思わせる威容をもっていた。観測の一例としては,電離層のトップサイドを越え104/Mまで美しく落ちてゆく地球という惑星の上層プラズマ分布の姿を描き出してくれた(図1)。

図1 L-3H-2号機による電子密度分布

 科学衛星による電離層観測は1971年「しんせい」により開始された。それは衛星観測が産ぶ声をあげた,という方が適切と思われるもので,科学としては太陽電波(三固定周波),電子電流及び放射線帯粒子の三項というささやかなものであった。しかし,我国が自力で全地球周回観測の足跡を印した意義は大きなものであった。続いて1972年打ち上げられた「じきけん」は,不運にも三日間でその観測を停止したが,1975年2月軌道にのった「たいよう」に至って,積み上げてきた電離層観測の手法は本格的に花ひらいた。特に我国が発見したブラジル領域のプラズマ分布異常は驚くべきものであったし,さらにほとんど世界の情勢に遅れることなく赤道域プラズマ泡( Plasma Bubble )の存在を発見していて,電離層プラズマ研究を活発化させている。プラズマの密度が周辺の0.1%以下にまでも低下してしまうこの驚くべき現象は,今後のプラズマ不安定現象研究の新しいテーマでもある。

 電離層観測時代にすでに登場していた観測項目は,電波観測と磁気姿勢計があったが,ラムダ型ロケット観測時代に至って,放射線帯の観測,さらに新たに登場した低エネルギー粒子観測が加わった。もともと内之浦は,亜熱帯観測域とも言われている。オーロラにかかわるエネルギー範囲の観測はその対象がなく,また磁場現象も大きな変動を示してはいない。結果的に,オーロラ粒子観測も地磁気脈動観測もおくれた観測器であった。しかしいまや衛星時代に入った。太陽地球系物理学の研究の真髄ともいうべきオーロラ現象の研究が,磁気圏の物理とその電離圏との結合としてクローズアップされ,この種の磁気圏観測用装置が急速に開発されるようになった。

図2 「きょっこう」でとらえた紫外線オーロラ

 1978年には二つの科学衛星が打ち上げられた。国際磁気圏研究(IMS)に参加した「きょっこう」と「じきけん」であった。「きょっこう」は,オーロラ像を紫外線でとらえることが焦点となり(図2),これに粒子観測,プラズマ波動及びプラズマの密度と温度等の観測装置が積まれていた。また「じきけん」には,オーロラ電波(図3)を詳細に解明することを中心に,波動粒子相互作用の研究にかかわる粒子及びVLF電波,さらに磁場やプラズマ密度等の計測・電子ビームや高周波電界の注入によるアクティブ実験が行なわれた。この観測は,地球が宇宙に向ってコヒーレントで強い電波を放射する電波星であることを示してくれた。こうして二つの衛星観測の成功は,IGY以来蓄積されてきた我国の宇宙観測研究の成果を世界に問うにふさわしいもので,その技術及び科学的背景のレベルは世界に比肩するまでになったことを示し,その意義は極めて大きい。再び1961年7月に参加したK-8時代をふりかえっても,感無量のものがある。

図3 「じきけん」でとらえたオーロラキロメートル電波の爆発
         (暗部:スペクトル強度の強い所)


(おおや・ひろし 東北大学理学部) 


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